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日常生活で忙しかったり、ストレスがかかりすぎると視野が狭くなることってありますよね。

大したことないことを大きく捉えてしまったり、必要以上にネガティブに反応してしまったり。

思考であれこれいい方向に向けようと思ってもできない。

できない自分に落ち込む、そんな自分を責める。

または他人や出来事から心が離れず、モヤモヤやイライラが募りすぎる。


そうなると、さらなる沼にハマったりw


調子が悪いと、大なり小なり誰しもはそんなことあると思います。


でも、、

定期的にヨガや瞑想をしていると、そういう頭の過剰な働き、思考の連鎖から「一旦離れる」ことができる。ヨガや瞑想でなくてもいいと思います。

とにかく思考であれこれするのをやめて、何か他に没頭してみる。

そこから日常に戻るとあら不思議。

俯瞰で見れたり、冷静になれたり、頭の中であれこれこねくり回さないwことができる気がします。


改めてそんな気づきを得た先日の話。


先日、子供達を寝かしつけてリビングにいると、息子が起きてきて

「コラー、コラー」

とどこかから繰り返し聞こえる。怖いから来て欲しい、と言われました。


寝室に行ってみると、人の声は何も聞こえない。

耳を澄まして聞こえるのは、エアコンの室外機の音と娘の寝息のみでした。


でも彼は言います。

「あ、また聞こえた、ほらほら、怖い怖い」

と、身体を震わせて怖がります。


お隣さんやご近所さんの声かと思ってもう一度耳を澄ますも何も聞こえません。


私が聞こえている一番大きい音、室外機の音が聞こえるか彼に聞きました。

そうすると「聞こえない」と息子が答えたことでピンときました。


息子が、ものすごく怖がり、本来聞こえるはずの音(室外機の音)が聞こえてないので、きっと何かしらの生活音などを怒声だと思い込んで、ずっとそう聞こえてしまっているのではないか、と。


彼と一緒に室外機に近い窓際に行き、室外機の音に耳を澄ませてもらうと、やっとその音を認識しました。そこから、布団に戻ってもらいしばらくすると彼が言いました。

「お母さん、ごめん。花(妹)の寝息がコラーって聞こえてたみたいw」と。


こういうことって日常で本当によく起こっていると思うんです。

私もあります。


不安や恐怖、こうしたいというコントロール(その裏にはやっぱり安全や安心を守りたいがための不安など)があると、視野がぐっと狭くなり、本来あるものが見えない、聞こえないし、ネガティブに捉える必要がないものも「こうだ」と思って決めつけてそこから心が離れなくなります。

息子が娘の寝息を「コラー」と誰かの怒声と聞き間違え続けたようにw


でも、そういう日常の流れをちょっとストップする時間を持つと、自然に視点が変わり思い違いや、過度な心配、自分の心が現実を誇張していることに気づけることもあると思います。


私の場合はヨガや瞑想が日常にあるので、そういうちょっとした調子の悪さは本当に気づけるようになりました。

気づくと、色々起こっても「ま、いっか。今、調子悪いし。」と開き直る技術も身につきました。別に開き直ろう、と努力しているわけでもありません。


以前の私なら、「どうにかしたい!」気持ちがものすごく強くて、モヤモヤは解消したいし、イライラは対処したい。問題は解決したい、と躍起になりすぎていました。

そんな、まっさらな人生なんてないのにw


人生のあれこれ、いいことも悪いこともある、ということを頭ではなく、腹で理解させてくれたのが、日常から一旦離れる時間を持つ、習慣でした。


今年は、ヨガや瞑想以外で、没頭できるもの・趣味が見つかるといいな。

没頭したくて掃除するんですが、掃除もいいけど、趣味が欲しいw


人生をより豊かにするのは、生産性や効率、意味から離れた黙々と何かをやる時間だったりする気がします。


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